2023年を振り返って

2024年に入り早くも1か月と少しばかり経ちました。4月から諏訪赤十字病院への異動が決まり、日々の診療や業務と並行して異動に向けて準備を少しずつ進めています。2023年は私にとって1つ節目の年になりましたので、振り返ってみたいと思います。

3月までは伊那中央病院で勤務していました。伊那中央病院での1年間は加藤先生にご指導いただき、とても充実していました。地域の急性期病院ではありますが、地域柄高齢者も多く、誤嚥性肺炎を含めた慢性期の症例も多く担当しました。病棟で30人くらい担当することは通常の状態でありましたが、数を診ることにはだんだんと慣れてきて、多くの症例を経験することができました。

4月から医師6年目、呼吸器専攻医としての立場で大学勤務となりました。家庭の都合もあり、引っ越しはせずに南箕輪村から通勤する生活となりました。通勤は体力的に多少の負担がありました。だんだんと生活リズムがつかめてきた頃に節目の30歳を迎えました。30代になってもよくカルテに記載するいわば「著変なし」の状態ではありましたが、少し気持ちの変化はあったように思います。

6月に内科専門医試験がありました。無事にJ-OSLERの登録をクリアでき、試験を迎えるという形になりました。正式な試験は振り返ってみると国家試験以来であり、内心「まあ大丈夫だろう」と思いつつも、どこか胃がむずかゆいような感覚がありました。試験自体は無事に合格できましたが、難しい問題も多く、特に呼吸器以外の設問はとっつきにくい印象でした。日頃の診療から呼吸器の目線だけではなく、さまざまな領域について診ることが重要であると実感しました。

8月に長男が生まれ、家庭もにぎやかになりました。頑張ってくれた妻と長男には本当に感謝です。赤ちゃん特有のわんぱくさいっぱいですが、元気に成長してほしいものですね。家庭がにぎやかになるさなか、長年応援してきた阪神タイガースが優勝に向けて独走態勢となりました。実家は兵庫県神戸市で、父の影響もあり自然と阪神を応援するようになりました。日常会話で当たり前のように阪神の話をしていた頃を懐かしく思います。阪神電車に乗ってよく甲子園に試合を観に行っていました。9月に18年ぶりのリーグ優勝を成し遂げました。実は2003年と2005年のリーグ優勝の瞬間を実際に甲子園でみていました。当時は小学生でしたが鮮明に覚えています。11月に38年ぶりの日本一を達成し、リーグ優勝・日本一とメモリアルな年になりました。

日々の診療においても治療方針が難しい症例や重症の症例を多数経験できました。呼吸器専門医取得に向けてJ-OSLERの登録を進めています。4月には呼吸器学会総会での発表があります。ポスター発表は初めてですが、しっかり準備をしていきたいです。症例報告の執筆を進めていきたいと思っています。2024年もよろしくお願い致します。

市川 椋

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