鉄道模型

はじめに

まじめな話、仕事の話は他の医局員に任せ、私は例によって趣味的な話をしたいと思う。
今回は鉄道模型の話をしたい。このコラムでは私の様々な趣味について2017年から書いてきたが、どうも私の趣味の専門である鉄道に関するコラムはその他の趣味のコラムに比べて不評のようである(最も好評なのはカブトムシ?野球観戦?)。専門であるが故にマニアックすぎること、どうしても伝えたいという思いが空回りしてしまうことが読み手にとってマイナスに働いてしまうようである。鉄道模型は、私が小学生・中学生・高校生の時に最も時間をかけた(浪費した)趣味だけに今回もかなりマニアックな内容になってしまい書き手として何も進歩がないのだが、自己満足の世界なのでご容赦願いたい。当科の医局員にもいろいろな人がいるということを知ってもらえたらと思う。

子供の頃の鉄道模型

私が幼稚園児であった1979年のクリスマスプレゼントが鉄道模型であった。ブルートレイン客車5両と電気機関車、小さなエンドレスの線路であった。ブルートレイン客車については現存しており、独自にグレードアップ改造を施したため原型とは異なるが、人生の大半をともに過ごした私にとって最古の所有物である。市場価値はゼロであるが、私にとってはかけがえのない宝物である。私が小学生の頃は鉄道模型が比較的安価であったためか、大して鉄道に興味を持っていないにも関わらず鉄道模型を持っている子がたくさんいた。そういう子は得てして鉄道模型を雑に扱うため、故障や破損させることが多々あった。私が修理・整備してまわったりしていたが、やはり本当に好きでないと続かないものである。当時と比べて今の鉄道模型は完成度が高く、その分値段も格段に高くなったため本当に好きな人しか持っていないのではないかと思う。私の周りで最後まで残ったのは筋金入りの鉄道ファンの私と小学校・中学校時代の友達のY君のみであった。2人で競い合うかのように完成品を買ったりキットを組み立てたりしていたので、高校時代までは順調に数を増やしていった。しかし大学生になってからは実家を離れ、最初は6畳一間の賄い下宿に住んでいたため鉄道模型を置いておく場所もなく、実家に置きっぱなしになった。それ以後は鉄道模型と疎遠になってしまった。

鉄道模型再開

時は流れ32歳の時にアメリカに留学することになった。コロラド州デンバーに移住した。アメリカ人の知り合いに「私は鉄道に興味がある。」という話をしたところ「Caboose Hobbiesという大きな鉄道模型店があるが行ったことあるか?」と言われた。早速行ってみたところ本当に大きな鉄道模型店で、模型のみならず書籍も充実していた。見ていたら欲しくなり久しぶりに鉄道模型を購入した。アメリカでしか買えないようなアメリカ型の鉄道模型を主に購入していたが、「焼け木杭に火が付く」ということだろうか。日本の車両も欲しくなり、楽天市場のウェブサイトを見ては欲しい車両を購入し実家に送っていた。地球の裏側にいても鉄道模型を買える便利な時代になったものである。バージニア州リッチモンドに移住後も鉄道模型を扱っている玩具店を探しては訪問していた。とある玩具店で「車両を保管するケースがほしいが、注文できないか?」と相談したところ「隣の州にM.B. Kleinという有名な鉄道模型店があって品揃えがすごいから買えると思う。しかもディスカウントしてくれるよ。」と教えてくれた。それ以降M.B Kleinのウェブサイトで購入していた(隣の州とは言っても自宅から約250km離れていたが一度日帰りで行ったこともある)。アメリカで購入した模型は一時帰国時、最後の帰国時の2回に分けて預け荷物に入れて運んだが、X線検査で不審物に写るらしく、2回ともインスペクションの対象となり荷物を開けられた。破損はなかったが、無理やり押し込まれ少しショックだった。
帰国後、実家から鉄道模型を全て引き取り、その後も鉄道模型を続けているが、今は若い頃のように時間が取れず、予算も取れないため、大好きな近鉄関連の模型のみに購入対象を絞っている。

組み立てキットの製作

私が学生時代(~1990年代)、鉄道模型のラインナップは限られていた。完成品を買ってきて走らせるだけでは、お金があれば誰でもできてしまうし、皆と同じ模型を持っていてもおもしろくなかった。鉄道模型メーカーは複数あり、そのなかでもグリーンマックス社は組み立てキット(エコノミーキット)を中心に販売していた。組み立てキットを組んで塗装して完成させるのは子供にとっては敷居が高い部分があった。しかしうまく完成させることができたら友達に自慢できた。初めて組み立てキットを完成させたのは小学校6年生の時で、旧型国電である国鉄クモハ43形電車であった。塗り分ける技術はなかったので単色で済むように大糸線仕様のスカイブルー塗装にした。
技術的に安定するまで出来は劣悪だったが、既製品にはない満足感を得ることができ快感だった。以後組み立てキットの製作に熱を上げ、中学校・高校時代、自宅にいるときは常に模型をいじくっていた。

組み立てキットの組み立て手順

大まかに言って以下のような手順がある。きれいに仕上げるには手順を間違えないことと接着剤の選択が重要である。

①組み立て工程

  1. ランナーからニッパー、カッターナイフ等で各パーツを切り離す。
  2. 車体、天井、台枠(床板)を構成するパーツに細かいパーツ(クーラー、床機器等)を取り付ける。塗装後に取り付けるパーツはピンバイスを用いて取り付け穴を開ける。
  3. 車体を構成するパーツをL字になるように側面と妻面を接着する。次いでロの字になるように接着する。接着剤についてはタミヤセメントのような液体状のプラモデル用接着剤を用いるが、車体は強度が求められるためタミヤセメントで位置を確定させてから、さらに瞬間接着剤を流して固定する。
  4. 洗面器にぬるま湯を入れて台所用の中性製剤を2,3滴混ぜて車体、天井、床板、各種パーツを漬けて洗浄する。
  5. ホコリが少ないところに新聞紙を敷いて車体やパーツを置いて十分乾燥させる。

②塗装工程

ホコリが付着していないことを確認して塗装する(詳細は後述)。

③仕上げ工程

  1. 塗装後に取り付けるクーラーなどのパーツを接着剤等で固定する。天井を固定する。これらは強度が求められる部位なので瞬間接着剤を用いる。
  2. 窓ガラスのパーツを固定する。両面テープやエポキシ系接着剤を使用する。
  3. 床板を接着するが、後に分解することができるよう木工ボンドを用いる。
  4. インスタントレタリングの車番を転写する。行先方向幕のシール等を貼布する。

これだけの工程を経るため当然時間はかかり、組み立て工程で1日、塗装工程で1日(塗分ける場合は2日以上)、仕上げ工程で1日かかっていた。
基本的に瞬間接着剤は強固に接着できるが修正がきかない。表面を侵すためはみ出さないように注意しなければならない。またはみ出すと白化現象を生じるため、注意が必要である。その点タミヤセメントのようなプラモデル用接着剤は扱いやすいが強度が弱い。車体の接合に使うと後に亀裂を生じたり、パーツの脱落の原因となり得る。後のメンテナンス性を考えて外す可能性がある部位は両面テープや木工ボンドを使用し、ナンバープレートを接着する際は表面を侵さないエポキシ系接着剤かゴム系接着剤を使用するのが良いだろう。どの接着剤を選択すれば良いか判断できるようになるためにはある程度経験が必要である。

最も大変な塗装工程

組み立てキットの出来は塗装がうまくできるか否かで決まるといっても過言ではない。塗装工程が最も大変である。

①塗料の選択

模型用の塗料には主にラッカー系塗料、水性アクリル樹脂塗料、エナメル系塗料などがあり、適宜使い分ける。基本的に車体はラッカー系塗料のスプレーで塗装する(筆塗りだと塗膜が厚くなり、ムラも出るので×)。必要に応じてマスキングを行って塗分けを行う。「鉄道カラー」という調色済みの塗料を使うと便利である。

②ラッカー系塗料のコツ

ラッカー系塗料は塗膜が強い、発色が良い、乾燥が早いという特徴がある。完成した後も耐久性が高く、安心して扱えるため最も頻用される。その反面、塗装作業は大変で、長時間塗装作業を行っているとシンナー臭く、ひどい頭痛を伴うことがあった。ホコリなどを巻き込むと修正は不可能で、シンナープールにつけて塗装を剥離して塗りなおしになる。湿度や、スプレーの噴射口から塗装する車体までの距離によって艶の状態が変わってしまうなど、極めてデリケートなため同じ条件で塗装するのはコツがいる。距離が近すぎると塗膜が厚くなりいわゆるボッテリした仕上がりになりディテールをつぶしてしまう。距離が遠すぎると塗膜は薄くなるが、塗料が無駄になるし、ざらついて艶が出なくなる。また編成物を塗装する時は同じ条件で全ての車両を塗装しなければならず、なるべく一期的に塗装する必要がある。

③塗り分け

もし塗る分けを行う場合は最初の色がしっかり乾燥した後にマスキング作業を行うが、マスキングテープが密着しない部分だと吹き込んでしまうのでマスキングゾルが必要になることがある。またNゲージの鉄道模型は一般的に150分の1スケールだが、もし1mmマスキングがずれると本物に換算すると15㎝ずれることになる。そうなるとイメージが変わってしまうのでマスキング作業は非常に慎重に行う必要がある。1mmの狂いも許されないのである。塗る順番も大事で、赤のように色素が薄い色の塗料は発色が悪いためプライマーで下地を整えたり、白や白に近い色(アイボリー等)の上に塗る必要があり、間違っても濃い色の後に塗ってはならない。

④色入れ

車体の塗装が終わると色入れを行う。窓のサッシやゴムの部分などを面相筆で筆塗りするが、これが大変な作業で、耐久性を重視しなければならない時はラッカー系塗料を用いるが元の塗装を侵すので失敗が許されない。水性アクリル樹脂塗料やエナメル系塗料を用いれば失敗しても溶剤を用いてやり直しができる。その反面乾燥が遅く、耐久性に難がある。場所によって適切な塗料を選択するが、ラッカー系塗料による色入れの難易度が高すぎる時は水性アクリル樹脂塗料やエナメル系塗料を用いる。デカールを貼布する場合、表面保護のため必ずクリア塗装を行うが、これがなかなか曲者で、デカールが溶けることがある。
塗装工程で何かしら失敗して、タッチアップでリカバーできなければシンナープールで塗装を剥離して全てやり直しになるため全く気が抜けない作業になる。これらの工程が終了してうまく完成できた時は本当にうれしいものである。

グレードアップ改造

組み立てキットのみならず、完成品をグレードアップさせる改造を行うこともある。最初に買ってもらったブルートレイン客車については中学生の時に新しいロットの車両と連結しても違和感が少なくなるようにトイレ窓を改良し、塗装をやり直している。プライマーで下地を整えてから青20号という色を塗り、車体側面のステンレス帯についてはアルミテープの表面を紙やすりで削って艶を抑えてから細く切り出して(約1mmと0.7mm)貼布し、組み立てキットと同じように窓の縁取りを筆塗りで行った。元が40年以上前に製造された模型だけに、現在売られている同形式の新しいロットの模型の水準には遠く及ばないが、手を入れただけ愛着が持てるようになった。さらにディテールの甘い台車の交換、連結器の交換を行うこともできるが、当時を偲ぶことができるようあえて行っていない。

世界中の父親へのお願い

このように鉄道模型を製作・改造するのにはものすごい手間がかかっており、私からすると「入魂の芸術作品」なのである。ただし興味がない人からすると単なるおもちゃにしか見えないのが問題である。私の父親が見たがるので嫌々ながら私の模型を見せることがあったが、汚い手で触られたり、扱いになれておらず落とされたり、壊されたり散々な目にあった。父親は子供とコミュニケーションをとっているつもりだったのかも知れないが、こちらにとっては「いい迷惑」で、いつもひやひやであった。一般的な毒親エピソードに「大事にしていた模型を壊された」というのはよくある話である。世界中の父親に声を大にして言いたいのだが、子供が大事にしているものを絶対に雑に扱わないでほしい。迷惑なのでできれば触らないでほしい。鉄道狂いの私にあまり「勉強しろ」とも言わず、割と自由に過ごさせてくれたことには感謝しているが、この点は今でもトラウマになっているのである。

模型店巡り

私が子供の頃、鉄道模型を売っている街の模型店・玩具店は多かった。鉄道模型は今より安く、大して鉄道に興味がないような人でも持っていることが多く、市場が大きかったためと思われる。私が住んでいた街にも行きつけの模型店・玩具店が多数あった。特によく通ったのは近鉄奈良駅近くのB模型店、大和西大寺駅近くのS模型店、学園前駅近くのO玩具店であった。大阪や京都の大きな模型店まで「遠征」することもしばしばあった。今より安かったとはいえ、子供にとっては高額であったためそうそう買えるものではなく、ショーケースに張り付いて模型を眺めるだけの時も多い「昭和のガキ」であった。当時の模型店・玩具店はそれぞれに個性があり、個人経営の店の「おっちゃん」としゃべるのが楽しかった。技術革新で徐々に鉄道模型の質が高まってきたが、それにつれて値段も高額になってきたため本当に好きでないと続けられない趣味になってしまった。その結果街の模型店・玩具店から鉄道模型が消えていき、チェーン店系の鉄道模型専門店への寡占化が進んだ。専門店だけに品揃えは素晴らしく、中古品の評価・値付けは完璧なのだが、昔の模型店・玩具店のような個性はなくなった。
今でも東京に行った時など時間があれば秋葉原などの鉄道模型店巡りをするのだが、私にとっては少年時代に戻ることができる楽しいひと時である。当科の元医局員で「鉄道模型友達」のT君と鉄道模型店巡りをするのが年1回の恒例行事となっている。
模型店・玩具店ではないが、一般的なリサイクルショップにも鉄道模型の中古品が並んでいることがある。品揃えは少ないが、そういった店では鉄道模型にあまり詳しくない人が査定していることが多く、中古品の評価・値付けが適正でないことが多い。それ故、時に破格の安値で売られていることがある。私は定期的にリサイクルショップも回って鉄道模型をチェックしている(ただし徒労に終わることの方が圧倒的に多い)。

鉄道模型を趣味として良かったこと

①「自分の限界」を悟ることができる。

いろいろ鉄道模型についてうんちくを垂れたが、実は私は不器用な人間なので偉そうなことは言えない。鉄道模型界にも神様級の人がいて、鉄道模型雑誌に投稿している作品はものすごい高レベルで、私なんか足元にも及ばなかった。きっとこういう神様級の人たちが外科医になると名医、ゴッドハンドになれるのだと思った。彼らは手先の器用さだけではなく、目の解像度も違い、おそらく0.1mmの違いを目視でき、空間的な認識能力が優れていると思われる。「自分の限界」を悟ることでできたのは鉄道模型をやっていて良かった点である。私が外科系を志すことはなかった。

②ものづくりの楽しさを学ぶことができる。

ものづくりの楽しさを学ぶことができた点も大きい。長時間同じことをやり続ける精神力、集中力、忍耐力が身についた点も良かったと思う。苦労して完成させた時の喜びは何物にも代えがたかった。鉄道模型の他にも自動車や軍艦のプラモデルも作り塗装まで行ったことがあるが、鉄道模型を作る技術があれば他のプラモデルにもある程度応用ができる点も良かったと思う。本物の自動車の飛び石傷などに対するちょっとした補修の際も応用できるのである。

③子供から尊敬される(かも知れない)。

子供が小学生低学年の時にうっかりプラモデルを買ってしまったが、子供には組み立てが難しい時が幾度かあり、当然私が手伝った。工具はすでに持っており、組み立てはもちろん色入れまで行うと子供も大変喜んでくれた。プラモデル組み立てを通じて子供に尊敬されるかも知れない(?)ことも鉄道模型をやっていて良かった点である。

④オタクの絆ができる。

これは鉄道模型に限ったことではなく、世の中の趣味全般に言えることだと思うが、同じ趣味を持つ者同士は普通の人間関係ではありえないほど仲良くなれる(可能性がある)。共通の話題が尽きないので初めて会った人でも長時間話ができたりする。アメリカに留学していた時も現地で開催されていた鉄道模型のイベントに行き、アメリカ人と鉄道模型について話す機会が幾度かあった。私は情けないことに英会話が今でも苦手であるが、言葉がまともに話せなくても同じ趣味を持つ者同士何か通じるものがあり、仲良くなれるのである。ただ一つ残念なのは鉄道模型を趣味とする女性に今まで出会ったことがないことである。

終わりに

鉄道模型はディープで、独自の世界が広がっていることを少しでもご理解いただけたら幸いである。
定年退職したら鉄道模型をゆっくり作りながら過ごしたいが、老眼という大敵がいて、昔のような集中力もなくなってしまったため難しいかも知れない。少し寂しいが、歳を自覚することができるのも鉄道模型の良い点なのかも知れない。ひとつ気がかりなのは私が亡くなった後、膨大なコレクションをどうするかである。他人への譲渡、鉄道模型専門店への売却などいずれ「趣味の終活」について考えなければならないだろう。
鉄道を好きになるような人が医療職を選ぶことは少ないため、大学や病院内で鉄道ファンや鉄道模型を趣味とする人に出会うことはなかなかないのだが、もしいらっしゃったら声をかけていただけたらと思う。

北口 良晃

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