パソコン趣味
はじめに
今回もまじめな話、仕事の話は他の医局員にお任せして趣味的な話をしたいと思う。私達にとって身近な機械であるパソコンのお話をしたい。
パソコンはWindows 95が登場した1990年代後半から特に急激に普及し、現代において仕事にもプライベートにも欠かせない存在となっている。パソコンがなければ世の中成り立たないと言っても過言ではなかろう。私にとってパソコンは「商売道具」であり、手放せない存在となっている。
現在はパソコンの性能も安定し2010年代からは成熟期にあると言える。逆に言うと成熟するまでは「未完成な機械」であったわけである。私は1980年代までのパソコンの黎明期においてパソコンを所有したことがなかった。中学生時代に友達がパソコンを持っており(シャープのX68000シリーズだったと思う)、ゲームをさせてもらった程度の経験しかなかった。初めてパソコンを所有したのが1997年であり、1990年代からのパソコンの発展期、普及期においてそれなりにパソコンに親しんできたつもりである。
そもそもパソコンは何かを行う際の手段の一つである。例えば文書を作る、プレゼンテーションの資料を作るなどの目的がまずあって、それらを実現するために使う手段・道具なのである。パソコンを所有すること自体が目的ではない。ただし単なる道具と割り切るのは少し悲しいものがある。常に仕事に使うので苦楽をともにする相棒であるし、パソコンにも個性があり所有欲をそそるものもある。それ故にパソコンを弄ることに喜びを感じるパソコンマニアも少なからず存在する。私も以前はパソコンマニアの端くれであった。現在はパソコンマニアを名乗れるほどの知識はなく、個人的な思い出・感想が主体となり、正しくない部分があるかも知れないが、ご容赦いただきたい。
最初のパソコン
私は今までWindowsマシン7台、Macマシン6台を所有したことがあり、それぞれに思い出があるが、やはり最初のパソコンが最も思い出深い。初めて私がパソコンを買ったのは1997年、大学5年生の時であった。型式はPC-9821 Nr13/D10であった。NECのPC-98シリーズであったが、Windows95が搭載されていた。PC-98シリーズ末期の製品で、型落ちだったため比較的安く入手できたのだが、それでも198000円であった。CPUはPentium 133MHz、RAM(メモリ)は32MB、ハードディスク容量は1GBであった。メモリが足りず頻回にフリーズしていたためメモリを増設した。当時はお金のない大学生だったということもあるが、増設メモリは高価であった。当時「増設メモリは静電気に弱く素っ裸になって増設する作業を行うのが良い」と言う都市伝説があり、私も自宅でパンツ一丁になってメモリ増設作業をしたりした。もちろんそこまで気を遣う必要はない。絨毯の上をすり足で歩行した後にパソコンやパーツを触ったりするのはもってのほかだが、一度金属の部分に触れて静電気を逃がすなどすれば問題ないだろう。
Windows 95登場前はMS-DOSが全盛期であったが、パソコンから「コマンドを入力してください」と言ってくる時代であったので、マウスでアイコンをダブルクリックするだけでソフトウェアが起動するWindows 95は超画期的であった。しかしこの頃のパソコンはひとことで言うと不安定であった。フリーズしてブルーバック画面が現れ入力していたデータが吹っ飛んだ経験のある方も多いだろう。ソフトウェアをインストールするときにOS(Windowsなどの基本ソフト)が壊れるなんてざらであった。ハードディスクの容量が足りず、余計なソフトウェアやファイルを削除する必要があったが、重要なファイルまで削除してしまい起動しなくなったこともあった。そうでなくても徐々に調子が悪くなるので定期的にOSの再インストールを行っていた。私の周りには月に1回再インストールを行う強者がいたが、私も年に2,3回再インストールしていたと思う(するはめになったと言った方が正しいかも知れない)。再インストールまで行かなくてもデータが断片化して動作が遅くなることがあり、デフラグ(ハードディスクの最適化)を行う必要があった。この時代のパソコンは自分で環境を整えないとどんどん調子が悪くなり、とても白物家電のように安定して使える代物ではなく、それなりにトラブルに対応する知識・経験がないとパソコンをまともに使えない時代であった。
パソコン通信
まだインターネットよりパソコン通信の方が主体であった時代で、私もパソコンの箱に含まれていたニフティーサーブの開始キットを使って入会した。当時のパソコンはモデムが内蔵されておらず、外付けモデムを別途購入し、電話回線を使って通信を行っていた。当時一般的であったダイヤルアップ接続の最速の通信速度は56000bpsで、対応モデムが約15000円する時代であった(ちなみに現在の当科医局の無線LAN接続のダウンロード速度は40~50Mbpsなので、最大でもその数百分の一程度の通信速度であった)。高価なハードウェアを増設する必要がありニフティーサーブへの月々の支払いもあり学生にとっては敷居が高かったが、ニフティーサーブで様々なフォーラムに入会して楽しんでいた。やがてパソコン雑誌でインターネットの存在を知り、Internet Explorer 4というブラウザソフトをインストールして、設定に手こずりながらも接続に成功し、初めてインターネットの世界に踏み出した。ちなみにこのInternet Explorer 4であるが、一部のパソコン通には「パソコンの調子が悪くなる」ということで恐れられていたようだ。現在私はインターネット中毒で、インターネットがないと生きていけないくらいだが、このときがその第一歩なのであった。上記のごとく当時は通信速度が激遅で、ホームページを開くだけでも時間がかかり、動画が連続再生できる時代が来るなんて思いもよらなかった。
自作マシン
2005年、私は非常に忙しい病院に勤務しており、どこかに出かけても病院から呼び戻されるような生活を送っていた。私はお出かけ好き、旅行好き、鉄道好きな人間であり、当然ながらストレスが溜まりに溜まっていた。「何かインドアな趣味を作ってやろう」と思い、目を付けたのがパソコンの自作であった。パソコンの自作に関する本が売られており、私も2冊買ってある程度勉強してからパソコンのパーツを買いに行った。パソコンの自作なんて興味のない人からするとものすごく難しく聞こえるかも知れないが、それほど難しくない。私は予算を10万円と決めてパソコンケース、マザーボード、CPU、ハードディスク、メモリ、電源、OS、液晶モニター、キーボードなどを買ってきた。CPUに対応するマザーボードが決まっているし、対応するメモリである必要があるが、事前に学習してパソコンショップの店員に確認すればまず間違いないだろう。BIOSのアップデートが必要だったりすることもあるようだが、私は全て新しいパーツで組み上げたためか問題なかった。CPUやビデオカードの性能は使い道によって選べるが、あまり高性能にしすぎると当然高価だし、排熱が追いつかなかったり、電源容量が追いつかなかったりするので注意が必要である。基本的にはドライバーが一本あればプラモデルのように組み立てることができる。OSをインストールして各種ドライバーをあてて、うまく起動した時の喜びは何物にも代えがたいものがあった。仕事用パソコンとして使用することにしたが、大きなキーボード、モニター故にそれまで使っていたノートパソコンより格段に使いやすかった。2010年にデスクトップパソコンを新たに買って置き換えたため退役したが、自作パソコンと同時に買った液晶モニターは現在でも現役で使用している。
インテルクルッテル
私が買ったCPUはインテル社のPrescott、ソケットLGA775世代のPentium 4の廉価版のCeleron Dで、動作周波数は2.8GHzであった。この世代のインテル社のCPUは苦戦していた。ライバルのAMD社はマルチコアCPUにいち早く軸足を向け、優れたCPUを販売しシェアを奪っていた。一方インテル社はマルチコア化よりも動作周波数至上主義を続けていた。その結果、爆熱・爆音・電力爆食いマシンを量産することになった。テレビのコマーシャルで「インテル入ってる、ジャンジャンジャンジャン」というのを皆様ご存知と思うが、それをパロディ化して「インテルクルッテル」と言われていた。私のパソコンは廉価版のCeleron Dであり、動作周波数も2.8GHzとそれほど高くなかったためリテールクーラーでも排熱は全く問題なかった。何事もバランスが大事ということであろう。もっとも私は排熱のことまで考えてCPUの型番を選んだのではなく、ただ単に予算で決めたのであるが、それが幸いしたのかも知れない。Pentium 4のハイエンドCPUを用いてもCPUクーラーを強力なものに換装すれば問題なかったと思うが、当時の私にはそのような知識はなかった。
その後インテル社はこのインテルクルッテル時代の苦い経験を元にCore(Core, Core2, Core i)という本格的にマルチコア化に対応したCPUを開発し、現在Core iは10世代目となり、性能的にも安定し洗練されてきている。
レガシーインターフェース
私の最初のパソコンにはUSB端子が付いていなかった。Windows 95はUSBには対応しておらず、Windows 98で初めて対応したからである。私が大学5年の時の1998年、友達がUSBを装備したパソコンを持っており、うらやましかった。彼も「俺のパソコン、USBがついている」と自慢していた。今ではありふれたインターフェースであるUSBだが、当時はこんな感じであった。USBが登場するまではPCカード、パラレルポート、SCSI等の、いわゆるレガシーインターフェースを用いていた。SCSIはスカジーと読む。「僕はSCSI(スカジー)の読み方がわかりません。はすかじー。」という親父ギャグが炸裂していた時代である(もちろん「はすかじー」は「はずかしい」にかけている)。ちなみにこのしょーもないギャグは私自身が開発したのだが、それから少し経った頃にパソコン雑誌に同じことが書かれているのを発見した。おそらくMac Fan誌だったと思う。だれもが思いつくような普遍性があるギャグだったのかも知れない。SCSIは直列に周辺機器をつなげ、最後ターミネーターを接続する。ターミネーターというとアーノルド・シュワルツネッガー主演のハリウッド映画を思い出す人がほとんどだろうが、私と同年代の人の中には少なからずSCSIのことを思い出す人がいると思う。
あこがれのMac
パソコンのOSにはいくつか種類があり、一般人にとってなじみ深いのはマイクロソフト社のWindowsとアップル社のMacであろう。「何でもやるならWindows,簡単なのはMac」と言われていた。その「何でも」の中にはいかがわしいゲームも含まれるのだが、WindowsもMacにも対応するソフトウェアが多数あり、インターネット時代の現代ではどちらもほぼ同じことができると言って良いだろう。一般的にはWindowsの方が、普及率が高く、ソフトウェアも安く、種類も豊富である。こう書くとMacには取り柄がないように思われるかも知れないが、そうではない。独特の使い勝手の良さやあたたかみがあり、スマートな外観が所有欲を満たしてくれる。「スタバにMacBook Airを持ち込んでドヤる」と言う人が存在するようにオシャレであこがれの対象でもある。ただし私の学生時代当時のMacは高く手が出なかった。しかし周りの同級生を見ているとWindowsよりもMacのシェアの方が高かった印象であった。Macの中でもPower Macintoshというデスクトップマシンを持っている人が多く、羨望の眼差しで見ていた。無理して買う人が多く、マッキントッシュをもじって「シャッキントッシュ」と言われていた。社会人として働き始め、ある職場ではMacでネットワークが築かれており、私もMacを買わざるを得ない状況となり、ついにMacのノートパソコンを購入した。iBook SEで、造設メモリと合わせて25万円くらいした。あこがれのマックユーザーになれて、うれしかった。職場を移ってからはMacである必要がなくなり、使用するソフトウェアの関係からWindowsマシンで事足りていた。しかしMacを活用できる場がないのは寂しいものがあった。なにせあこがれのMacである。そこで役割分担することにした。写真・動画・音楽の管理はMacで行い、iPhone・iPadなどの携帯情報端末・タブレット端末の同期もMacで行うことにした。仕事は全てWindowsで行うことにした。それは現在でも同じである。
現在使っているパソコン
自宅でメインで使っているのはMacBook Pro(Mid 2012モデル)である。CPUは第3世代(Ivy Bridge世代)のCore i7で、メモリも8GB搭載しており、古いが第一線で使える性能があり、最近ハードディスクを1TB SSDに換装した。まだまだ使うつもりである。モバイル用にMacBook Air(Early 2015モデル)を持っており主に外勤当直の際使っている。職場ではデスクトップマシンのMac mini(Late 2014モデル)を使っている。最近ハードディスクの動作の遅さにイライラする時間が増えており、そのうちSSDに換装するかも知れない。3台ともWindowsをインストールしており、仕事の際はWindowsで起動してWindowsマシンとして運用している。一般の人には意外に知られていないのだが、2006年以降MacマシンのCPUがIBM社のPowerPCからインテル社のCoreシリーズに変更されハードウェア的にほぼ同じ構成となり、Windowsのインストールが可能になっている。
気がつけば全てMacマシンとなっているが、MacBook ProおよびMac miniは超円高の時で今より相対的に安くMacが買えた時代であった。職場のMac miniについては購入時に同等の性能のSE社のパソコンも比較検討したのだが、Mac miniの方が全然安かった。しかし買った直後に日本での販売価格が大幅に値上げされた。昔はパソコンの性能が不安定で複数台所有して危機管理をしておく必要があったのだが、現代のパソコンは性能が安定しており複数台持つ理由がなくなりつつある。いずれ自宅のメインマシンとモバイルマシンは統合して、職場のデスクトップと2台体制にするつもりである。
最後に
パソコンが劇的に進化し、成熟期を迎え、完成度が高くなったのは大変喜ばしいことだが、個人的に以前ほど興味を持つことはなくなった。未完成な機械であったが故に様々な「名人芸」が存在し、それが興味をそそったのである。趣味的な興味を失ったとは言え、私にとってパソコンは大事な相棒であることは変わらない。
パソコンは生き物である。暑いところ・寒いところが苦手だし、衝撃を与えると壊れるし、ホコリやタバコの煙を吸わせると内部が汚れて最後は故障してしまう。現代のパソコンは昔のパソコンのように気難しくないが、基本的なハードウェア構成は変化なく、雑に扱うと壊れてしまう。生き物のように愛情を持って接するべきと思う。
今使っているパソコンにも歴史があり、様々な紆余曲折があって発展し、現代人はその便利さを享受できているのである。もはやフリーズして入力していたデータが吹っ飛んだり、OSが壊れないか冷や冷やしながらソフトウェアをインストールしたり、調子が悪くなってOSの再インストールをする必要はほとんどなくなった。現在では当たり前のことも当たり前でなかった時代があったということを若い人には知ってもらいたいと思う。
北口良晃