第54代横綱輪島
2018年10月8日、第54代横綱輪島が亡くなった。享年70歳。
学生横綱で大相撲の横綱になった唯一の人物であり、余りにも出世が早かったため、髷を結えなかったとか、しこ名をつける余裕がなかったとか逸話が多い。
輪島の活躍した時代は大相撲の全盛期だったように思う。第55代横綱北の湖とともに「輪(りん)湖(こ)時代」を築き、一世を風靡した。輪島と北の湖は左四つの相四つで、輪島が半身になり、「黄金の左」と呼ばれた左下手投げで勝つことも多かった。輪島の右からの“おっつけ”や“しぼり”を北の湖は嫌がっていた。また、大関貴ノ花ともライバル関係にあり、「貴(き)輪(りん)の対決」とも呼ばれた。両者の渾身の吊り合いは今でも瞼に焼き付いている。
この時代は、ほかにも、第56代横綱若乃花(若三杉)、第57代横綱三重ノ海、大関旭國、大関魁傑など、個性的な力士が多かった。輪島は四つ相撲にはめっぽう強かったが、高見山、麒麟児、富士櫻など押し相撲は苦手としており、彼らに多くの金星も献上した。この脆さの部分も輪島の魅力であった。また、佐久市出身の大鷲もこの時代に活躍し、輪島とも対戦している。
最近の大相撲を見るにつけ、“かち上げ”や“張り手”などが増え、相撲の美しさが減退していると思うのは私だけだろうか。御嶽海にはどうか正攻法の押し相撲を極めてもらいたい。そして、輪島以来2人目の学生横綱出身の大相撲の横綱を目指して欲しい。
最後に、輪島という傑出した横綱とともに多感な時代を過ごせたことに感謝したい。合掌。