第40回日本呼吸器内視鏡学会学術集会 長崎 記念すべき第1回BQグランプリ最優秀賞の行方は・・・

比較的遠隔地で行われた今回の呼吸器内視鏡学会学術集会に参加した。
長崎は私にとって初めて訪れる地であり、九州自体が大学受験の時に訪れて以来である。
長崎にいる知人の事前の案内があったため、交通の手配や学会場と長崎駅の立地関係などは大体把握できており安心であった。

そのような開催地であったためか、当科からは小生1名の参加であった。
学会場は長崎ブリックホールという会議場と道を隔てた向かいにある長崎新聞文化ホールという長崎新聞社の社屋の一部を利用する形で開催された。

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近年、呼吸器内視鏡(以下、気管支鏡)の領域では、肺癌治療の進歩に伴って必要性が増している組織採取を、いかに確実かつ安全に、量をより多く取得するかということが課題の一つになっており、これに関連するテーマが多く取り上げられていた。また、本学会が主導している気管支鏡に関する全国調査(昨年実施)の結果の一部が公表されていた。その他、外科的内容、診断的気管支鏡、気管支鏡インターベンションなど様々な報告がなされていた。
我々は近年、末梢超音波ガイドシース法の診断率向上を目指して血管内視鏡を用いた肺野末梢病変の直視を試みている。本研究が今回の学会でワークショップの1演題に取り上げられ、報告の機会を得た。

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どのくらいインパクトがあったか分からないが、動画を交えて我々が現在行おうとしていることがお伝えできたのではないかと思っている。

そしてもう一つ、お伝えしたい重大ニュースがある。
今回の学会で初めての試みとして行われた、BQグランプリについてである。BQとは、当日の解説によるとBronchology Questionの略とのことだそうだ(聞き誤っていたらすみません)。当初 “B1グランプリ” にする予定であったが、B1グランプリ だと登録商標などに抵触するのではないかという意見が出たため、この名称となったそうである。今回は記念すべき(?)第1回の開催であった。気管支鏡(気管支学)に関連する問題をクイズ形式で回答、得点上位を争う大会である。出場したチームは全部で24チーム。全国各地から本学会に参加した参加者が3名1グループとなり、1位を争う。面白そうな企画だとは思ったが3名一組ということで参加は難しいと思っていたところ、学会参加直前に長野赤十字病院の倉石博先生が参加されることが判り、長野日赤から研究報告のため参加していた廣田周子先生と3名揃うことから、倉石先生に参加を依頼、快諾していただき、すでに締め切られているとは思ったが参加申し込みを行ったところ、OKとの返事をいただいた(エントリー順は23番であった)。参加賞だけでももらって、BQグランプリがどんな雰囲気なのか、どんな問題が出題されるのか、自分がどのくらい答えられるのか知っておくこともよいかと思い、倉石先生には「気軽に参加しましょう」などといい加減なコメントをしながらの飛び込み参加であった。
BQグランプリの雰囲気は大変和やか(?)であった。オープニングがまさかのご当地アイドルによるご当地の歌と入場時に配布されたミルクセーキ(長崎では練乳、フルーツ入りかき氷のことをミルクセーキと言うとのこと)の説明であった。司会者は(おそらく主催施設の統括医長のような先生)坂本竜馬を扮した格好(袴に帯刀)でマイクを向ける女性(若手医師?医局秘書さん?学生アルバイト?)はチャイナドレスという趣向であった。終始このように楽しい雰囲気で進行、コメンテーターの平田一人先生、金子公一先生もジョークを織り交ぜながらの楽しく真面目な大会であった。出題内容の半分以上は呼吸器内視鏡、気管支学に関すること。その他学会に関連すること、気管支鏡の歴史に関するようなことなど、この部分に関してはBQ(Bronchology Question)そのものであったと思う。

さて、試合内容であるが、まず1次予選が行われた。1次予選は全24チームがアンサーパッドを使用して出題に答え、それぞれの出題の難易度により正解時のポイントは異なるが、10問行って高得点である上位3チームが本戦出場資格を得るというもの。2次予選は1次予選で4位以下となったチームの中から、4位から順番に、ある問題の正解を最初にしたチームが敗者復活となる仕組み(ここが一番大変?)。そしてこの4チームが会場の前に参集し、早押しボタンまたはホワイトボードを用いたクイズ形式で一番早く5問正解したチームが優勝というものである。

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栄えある我がチーム(チーム名:Team NBI、NBIはNarrow Band ImagingではなくNagano Bronchoscope Intercityの略。著者による拙作。)はエントリーNo. 23。予選の序盤は最初の2問を立て続けに落とし、「やっぱりこんなものか」という滑り出しであった。その後、正答、誤答あり、7問位進んだ時点で一度発表された暫定順位は確か8位であった。後半3問も1問程度外したと思われるが、ポイントの高い問題に正解したことで、1次予選10問が終了した時点で我がTeam NBIは同点で3位であった。同点3位の可能性が想定されていたというから、主催者側の先生方の入念、周到な準備に頭が下がるが、試合は延長戦にもつれ込んだ。相手は“池田塾”、東京医大の呼吸器内視鏡学会の現理事長、池田德彦先生のお膝元の強豪チームである。延長戦は3問、お互いに1問正答、2問誤答の同一勝敗であったがたまたま我々の正答した問題の方がポイントが高かったため、僅差での勝利を得た。2次予選で勝ち上がった千葉大、1次予選1位通過の自治医大、2位の大阪市立大学と、3位の我がTeam NBIは(奇跡の)本戦へ出場となった。本戦はいわゆる早押しボタンが設置されているクイズ形式。これは一生に一度はやってみたいと思っていたので気分が盛り上がった。問題は予選と同様で、学会の歴史に関する問題と学問的な問題が出題された。最も早くリーチとなったのがなんと我がTeam NBI。その後1問落とし、その次の問題に見事正解(正解は他チームもあったが)、最初に5問正答したチームが優勝のルールに則り、なんとなんと、我がTeam NBIは栄えある第1回BQグランプリの覇者として最優秀賞に輝いた。

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優勝のチーム(上位4位のチームにも)には豪華賞品が与えられるということであったが、なんと賞金を獲得することとなった。急ごしらえの混成チームとして完全なダークホースであった我々が優勝するとは・・・。高得点の問題に正解し勝ち上がっていき、何か途中から「神ってる」感じでした。当然、当日夜はその賞金を使って祝勝会!

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思い出深い学会となりました。参加を快諾いただいた長野赤十字病院の廣田周子先生、倉石博先生、ありがとうございました。また、本グランプリを企画、制作くださった全ての関係者の方々、コメンテーターの先生方、そして本学会会長の永安武先生に深く御礼申し上げます。

学会最終日、その日のうちには松本に戻れない立地のため、世界遺産でもある端島炭鉱跡(通称 軍艦島)とグラバー園を訪れてきた。
軍艦島はずっと前から行ってみたかったところであり、本学会が長崎で行われたことに感謝しつつ行ってきた。予約をしておかないとツアーには参加できないという情報を知人からいただいていたので事前に予約をしておくことができた。以前から本などで見ていたので景観は想像がついていたが、写真では得られない本物ならではの臨場感、倒壊寸前の建物群、そしてナビゲーターの方の気持ちの入ったアナウンスに感動しつつ、写真と動画を撮りまくった。幕末の時代から1974年までの長きにわたり、日本の石炭産業の一翼を担った炭鉱である。しかし炭鉱であること、離島であるが故に、エネルギーの主流が石油に移行したことで突然顧みられることの無くなった島。以前に居住していた人々はどのような思いでこの島を世界遺産になるまで思い続けてきたのであろうか、郷愁やいかに、などと思いを巡らせながら、近辺の世界遺産群をクルーズして還ってきた。

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↑世界遺産となった端島(軍艦島)のほぼ全景
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↑荒廃の進む建造物

次に訪れたグラバー園、こちらは言うに及ばず、明治維新の最も有名な外国人の一人、トーマス・ブレーク・グラバーの居住地である。

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↑グラバー邸

グラバー園はグラバー邸だけがあるわけでは無く、当時の建物群が一つの公園となっている。

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↑こんな所もグラバー園にありました。

グラバーが日本に残した功績は大きく、造船、炭鉱はじめかのキリンビールもグラバーにルーツを持つ。そして幕末、資金のなかった志士たちを手助けしていたのもまたグラバーと言われている。グラバー園にあるグラバー邸にはその志士たちをかくまったとも言われる屋根裏部屋が公開されている。

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↑幕末・維新に興味のある方は是非訪問を。

今回の学会は、自身の研究を全国各地の内視鏡に携わっている研究者、臨床家の先生方にワークショップの場で報告することができたこと、思わぬ受賞、好きな歴史遺産をみることができたことなど、様々な面から思い出深い学会となった。

3泊4日の長きにわたり、留守にして迷惑をかけた家内、家族、医局の皆様、許可していただきました花岡教授、そして今回の学会期間中に大変お世話になった長崎在住の知人の方に深謝申し上げます。

平成29年6月11日(日) 特急かもめ車内および福岡空港待合ロビーにて
安尾 将法

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