「思い出のアルバム」

1冊のアルバムがあります。
何年も前に、担当していた患者さんのご家族から頂いたものです。

大学卒業後、初期研修を含め卒後3年間を大学病院で研修した私は、いわゆる「典型的な高齢者の誤嚥性肺炎」を診療したことがありませんでした。4年目に関連病院に異動となり、初めて“高齢者の誤嚥性肺炎”の主治医となりました。着任した翌朝、当直だった他科の先生から「肺炎の人だけど、先生に転科しておいたから」とPHSに連絡があり慌てて教えられた病棟に向かったことを覚えています。

右中葉に浸潤影がある典型的な誤嚥性肺炎で、教科書通りに欠食にして抗菌薬を始めました。嚥下訓練も含めたリハビリもすぐに依頼しました。しばらくは順調に解熱しCRPも下がるのですが、経口摂取にトライするとすぐ誤嚥性肺炎を再発する。また抗菌薬、欠食…その繰り返し。(正直なところ、大変よくある誤嚥性肺炎の経過です)

加齢により嚥下機能が低下してしまい、経口摂取が出来なくなっているのです。このような場合、生命維持のためには経管栄養が必要となってきます。それを是とするか否とするかは、ご本人およびご家族とよく相談して決めなくてはいけません。

その患者さんは否とおっしゃいました。中心静脈栄養も嫌だ。かろうじて普通の点滴だけは許すと。ご家族はご本人の意思を尊重したいというご意向でした。

「頑固者だから」とご家族はお話しされ、確かにあまりお話されず難しいお顔のことが多かったですが、どこかチャーミングなところがあり、病棟の看護師さんからは愛されていました。1日2~3本の維持液の点滴でかろうじて命をつないでいましたが、「家に帰りたい」という強いご希望がありました。当時、訪問診療を依頼できるあてはなく、入院していたのは急性期病院でしたので他院の療養病床への転院を調整しなくてはいけない段階でしたが、何とか少しでも希望に沿いたいと思いました。

ご家族と相談し、介護タクシーで数時間自宅に帰る計画を立てました。歩くことはもちろん、車いすに乗るのも難しい状態だったので、病院のベッド→介護タクシーのストレッチャー→自宅の居間の布団→介護タクシーで帰院というスケジュール。

このような外出は、ここ数年は比較的柔軟に行えるようになってきた印象があります。しかし当時の病棟看護師さん達には大変驚かれました。「えぇ~!そんなことした先生いないですよ」といいながらも、駆け出しかつ新参者の医者の指示に従って一生懸命協力してくれました。

結果、外出は無事終了しました。その日はドック業務だったのですが、受付係が「先生、どうしても先生にお伝えしたいことがあるって方が来て待ってます」と伝えに来ました。診察室の外に患者さんのご家族が待っておられました。「すごく良かったです!」「飼ってた犬と猫もすごく喜んで!」と報告に来てくださったのです。その日のことを写真に撮り、後日アルバムに仕立てて私に報告してくれました。患者さんはそれからしばらく経って旅立たれましたが、同席されたご家族が、「先生、思い残すことはないです」「このアルバムもお棺にいれます」と涙を流しつつも笑顔でお話しされたのがとても心に残っています。

column-ozawa
(病院にいたときは難しい顔だった患者さんが、自宅ではすごいイイ笑顔。そして、犬と猫が枕元に寄って離れない様子が写っています)

私はこの症例から多くを学びました。その後に担当したたくさんの患者さんからも、たくさんのことを教わってきました。闘病で大変な中、「先生、頑張ってね!」と逆に励ましてくださる方もたくさんいました。自分の非力さにめげて「この仕事、向いてないかな~。他に優秀なお医者さんたくさんいるし。」と思う日もたまにありますが、このアルバムを見ると、これまで会ったたくさんの患者さんを思い出し、「自分にできることもある」「学んだことを返さなくてはいけない」という気持ちになります。

臨床医でいたい自分の原点はここにあるような気がします。

小沢 陽子

一覧へ戻る