長屋の小菜園日記―初夏から7月まで
5月初旬某日
私は,集合住宅の狭い部屋を借りて,5人家族で住んでいる.50歳を超えて持ち家がないのは30%未満だそうで,少数派である.家族が甲斐性なしと思っているのを常に背中で感じているが,もはや住宅ローンも組みづらい年齢になってしまい,何とかしろと言われてもどうしようもない.
そのようなわけで,狭い土地なしの家で夏季限定のベランダ菜園を作っている.
昨夏にきゅうり,ミニトマト,ナス,ピーマンを収穫し,秋になって疲れて,何もやる気がなくなって,そのままベランダに土を放置していた.5月初めの日差しはすでに暑く,追い立てられるように,今シーズンの準備を始めた.毎年増えていくプランターや鉢の中の土は,うんざりするほど多く,これを捨てるのも大変だ.何しろ我が家には土地がない.
使い古した土を再利用するために,土をふるって,ビニール袋に入れて日光に当て(少しは消毒なるかと思い),苦土石灰を混ぜたり,培養土を混ぜたり,足の踏み場もないベランダでかがみこみ―猛スピードで土のリフレッシュ作業を終えた.近所の人は,ごみ屋敷のようなベランダで何をやっているのかと,不審に思われていただろう.
土をふるいにかけていると,中からコガネムシの幼虫が出るわ出るわで,こいつらに直接手を下すのもはばかられるので,日向のコンクリートの上に,ぽいぽいと放っておいた.すると,いつの間にか日陰に移動し,案外素早く砂利の中にもぐりこんで消えてしまった.生命力というのはすごいものだ.
午後,車で10分ほどの生産者直売所に出かけて,きゅうりの苗とミニトマトの苗を少し買った.トマトは,昨年放置していた土から,(落ちた実から生えたのだろう)新しい芽がうじゃうじゃ出ていた.これらをまびけばよいのだが,新しい品種も試してみたくて,3種類買い足した.さらに,丸オクラの苗が売られているのを見て食指が動いた.私は飽きっぽいくせに,新しいものに手を出したがるのだ.丁度,私の近くで若い奥様が,売り物の苗に水を撒いていた男性に質問していた.
「オクラを育てるのは初めてなんですけれど…」と,オクラ栽培に関する質問のようだ.聞き耳を立てていると,よく日焼けしたその男性が,にこりともせず,しかし,ごくごく真摯に答えていた.「オクラは今は植えない方がいい」
男性が言うには,オクラは熱帯の植物なので,気温が下がる時期には気を使う.今は5月初めにしては暑いが,もっと気温が安定してから植えた方がよい.もう2週間経ってから植えることをお薦めする―ということだった.何と親切心で,売り物を客に売らないのだ.私は,なんだか感動して,オクラの苗を買ってしまいそうになったが,しかし,冷静になって買うのはやめて,代わりに「土の守」というやたらと高い培養土を買ってしまった.
5月中旬某日
数日経って,角オクラの苗を買い,近くにあったモロヘイヤの苗も買って植えた.トマトがたくさん生えたので,植える鉢がもはやなく,土嚢に土を入れて植木鉢代わりにした.(さらに,その後,子供が小学校から,トウモロコシとインゲン豆の小さな苗をもらってきた.それも土嚢に植えたので,ベランダは背丈の低いジャングルのようになってしまった.)
トマトだけではなく,ひまわりやら朝顔やらマリーゴールドやらが,昨年まいたところからたくさん芽を出していた.私の家には土地はないが,お隣の玄関との境に小さな槙の植え込みがあった.その植込みの土が砂利だらけで,ちょっと掘ってみると奥は粘土質でお粗末な土だった.そのせいか,私たちが越してきたときに,すでに槙は枯れかけていたのだが,すぐに茶色く乾いて倒れてしまった.植込みがなくなった土地を私が勝手にたがやし,花の種をまいたのだった.お粗末な土地も,少し手入れすれば花盛りとなり,昨夏,ひまわりは2mほどにたくましく育った.
先日ラジオで,「はたあきひろ」さんという「ガーデニング研究家」という肩書の方の話を聴いた.彼は住宅メーカーの研究員をしていたが,家庭菜園を始め,それが高じて,すべての野菜と米を自給自足するようになったのだという.野菜造りの時間がないので,通勤時間を節約するために会社の近くに引っ越し,菜園を借りたというのだ.「植物の種の一つ一つに命が宿っており,お金で買えないかけがえのないものだ」と言っていたが,植物が育つのを見るたびに,私も同じように思う.
6月初旬某日
次女のリクエストで7年ぶりに二十日大根の種もまいた.7年前の余り種をまいたのだが,発芽率は良好だ.二十日というが,収穫までは約三十日だな….それが,初収穫となった.大根の類はアブラムシと青虫がつくので嫌いなのだが….
この頃から,二十日大根が2-3個,きゅうりが1-2本と,時々収穫が得られるようになった.きゅうり1本を「我が家のきゅうりだぞ!」とえらそうに宣言して,5人家族で少しずつ分けあって食べている.きっと食育にもなっていると思う.きゅうりが夏のもので,摂れ立てがうまいことをきっと学習してくれている.
6月中旬某日曜日
在宅酸素療法をおこなわれている患者さんの患者会に出席した.在宅酸素療法は,本邦ではHome oxygen therapyを略してHOTと呼ぶことが多い(和製英語のようだが).それで,当院では,この患者会のことを「HOTの会(ほっとのかい)」と呼んでいる.様々な疾患の呼吸不全の患者さんがお出でになるし,肺高血圧,心臓のシャント疾患の患者さんなどもいらっしゃる.患者さんにとってみれば,最初に御自宅に酸素濃縮器や液体酸素のボンベ(結構大きなものです)が運び込まれたときは,とまどわれたことと思う.不安を抱えながら生活されている患者さんたちが集まって,意見交換をしたり,疾患や医療機器に関しての勉強をしたり,レクリエーションをしたりするための会だ.
現在は呼吸器センターの看護師と当科の市山崇史医師が中心となって,企画・運営され,年2回開かれている.私は,出席して,患者さんとお話しするだけで,楽でよい.最近,「二十日大根の青虫取りが大変だ」と話したら,慢性閉塞性肺疾患のTさんから「農薬を使わず,害虫駆除をするのはよいことだ」と少しほめられた.実際,毎朝,割り箸で青虫をつまんで,ぽいぽいと放っている.「虫は気門で呼吸をしているので,水を撒くと呼吸ができなくなって弱る」とアドバイスもいただいた.私は,普段の外来でも農家の患者さんからありがたいアドバイスをいただくことが多い.肺線維症のKさんは,農家ではないが,野菜を自給自足できるほどの本格的家庭菜園をしている.この患者さんの話は実践的で感心することが多かった.
7月初旬某日
夜遅く帰宅すると,我が家のある集合住宅が,鉄骨の足場で囲われていた.そう言えば,少し前に,「10年に一度の壁の補修工事が行われるので,騒音に御容赦を」との通知が来ていた.しかし,具体的な工事の行程は説明されていなかった.建物全体に足場が組まれてブルーシートで被われるとは想像していなかった.工期は約1か月という.
ベランダの中にも足場が組まれていた.ベランダ菜園はどうなるのだ?今年はこれで終わりかな?
7月初旬某日
私が野菜の心配をしながら病院で働いている間,家にいる愚妻は,もっと苦労していた.鉄骨が組まれている間,窓を開けられず,暑くてたまらなかったそうだ.夜になってようやく窓を開けられると思ったら,どうしたことか,我が家の眼の前に仮設トイレが設置されていて,臭くてかなわなかったそうだ.
翌日,愚妻はお隣の元気のよい奥さんと一緒に,工事担当者とかけあって,トイレを移動させたそうだ.
考えてみれば,江戸時代の庶民は,長屋で隣近所と上手に付き合い,時に因業大家と対抗していたわけだ.私も粋な長屋生活をしていると思えば,江戸っ子気分を味わえなくもない(?).ただし,私は大家さんに対して何の恨みもない.勝手に部屋の外に植物を侵出させているので,大いに後ろめたくはあるのだが.
7月初旬某日
年に一度開催される日本睡眠学会第41回定期学術集会に出席した.今年は新宿の京王プラザホテルでおこなわれた.地方都市に出かけるのも楽しいが,私などはそうそう東京に行く理由もないので,新宿行きも結構楽しい.学会2日目にのみ出席してポスター発表もしてきた.『閉塞性睡眠時無呼吸症候群患者におけるCPAP 6時間使用のアドヒーランスと降圧効果の調査』という題で,当科における閉塞性睡眠時無呼吸(obstructive sleep apnea syndrom; OSAS)患者の治療アドヒーランスの現状調査と降圧効果の関係についての検討結果を報告した.この発表は,4月上旬に京都で開かれた第56回日本呼吸器学会学術講演会で,当教室の和田洋典先生に発表していただいた内容に,降圧薬の種類・数の調査結果を追加したものである.
OSAS患者に対して,長期予後改善が証明されている治療法はCPAPのみである.CPAPは,長らく4時間以上の使用が推奨されてきた.しかし,Barbeらは,降圧効果に関しては6時間以上が必要と報告している(AJRCCM 181,718-726,2010).当科での調査では,使用時間に関わらず降圧効果が認められたが,降圧薬をすでに投与されている患者で,血圧の改善がより大きかった.
今回の学会では,慢性心不全に対するASVの効果・使用基準に関してのレビューが行われた.SERVE-HF試験などの大規模試験の結果が明らかになった段階であり,興味深い内容だった.また,睡眠呼吸障害に対する新たな診療ガイドラインの進捗状況も報告されていた.
東京から帰宅すると,案の定,二十日大根の葉が青虫の被害にあっていた.虫食い状態を通り越して,葉が丸坊主になっているものもあった.
7月中旬某日
自宅の外壁工事はいよいよ,窓をふさいで高圧洗浄,塗装と進み,その間,窓が開けられなかった.私は,昼間は病院にいるので関係ない.子供たちは,土日は市立図書館に避難して,おかげで宿題がはかどったようだ.愚妻は,家の中で暑さに耐え,ダイエット効果が現れるかと思ったが,見た目は変わらないようだ.
今年もひまわりは,背丈が2mを超え,茎は太く,実に頼もしくなった.ところが,頭が重すぎて,首が折れて下を向いてしまった.こういうこともある.しかし,大輪の花は秋には豊かに種を実らせることだろう.
幸いにも,ベランダのジャングルは,工事の方たちに気を使われながら今のところ生き残っている.
初挑戦のオクラは,一時期枯れかかっていたのだが,暑くなってからは日に日に大きくなってきた.さすが熱帯植物だ.
ミニトマトは,毎日5-6個収穫できるようになった.家族で1-2個ずつ,つましくいただいている.トマトは間引きして,ベランダの外の観葉植物の間にも紛れさせている(内緒だがね…).15本くらいが細々と生きているので,これからもっと収穫量が上がることと期待している.
暑さに体力を削られながらも,外の世界には生命力がみなぎっており,私は夏が好きだ.
この日も早朝に水を撒く.青虫を痛めつけるつもりで水を撒く.アマガエルがびっくりして,飛び出してくる.ゆかいだ.
漆畑一寿
(写真は,学会会場の入り口,私のポスター,会場のお隣の都庁,首が折れてしまった我が家のひまわり.)