新入医局員コラム

4月より信州大学医学部附属病院呼吸器センターで勤務をはじめました。ここ東6階病棟、呼吸器センターでは呼吸器内科と呼吸器外科の医師が同じフロアで働いており、お互いのコミュニケーションがとりやすい環境になっています。看護師さんも呼吸器・感染症の知識、技術に長けており、安心して呼吸器疾患の治療を受けることができます。

私が信州大学を卒業して10年が経過しました。その間、呼吸器・感染症・アレルギー内科(以下「第一内科」)は久保恵嗣教授が定年退職され、花岡正幸教授が就任されました。学生時代は久保先生にご指導を受け、現在は花岡先生からご指導を受けております。

学生時代に臨床実習で久保教授の診察を拝見し、印象的であったことは、まず初めに患者さんの脈を確認し、その次に頭部、胸部と診察を進めていらっしゃることでした。この手順は一般的に医学の教科書に診察の正しい順序であると記載されている手順です。なぜ印象的であったのかというと、実際の臨床の場では診察で脈をとるということは不整脈を疑っている場合でもなければ省略され、頭部や胸部の診察から始めることが普通だからです。当時、久保教授の診察を見学し、多くの経験を積まれたお立場になられた後も、まず初めに患者さんの脈をとるという診察の手順を省略することなく、教科書の教えに忠実に診察を行い続けられている姿勢がすばらしい、と感じたことを記憶しております。

今回、はじめて花岡教授の回診につく機会を得ることができ、診察を拝見しました。そこでは花岡教授もまた、久保教授と同じく患者さんの手を取り、脈を感じながら、患者さんの具合を確認することから診察を開始しておられました。これは私にとっては2度目の衝撃でした。これらのことを私なりに解釈して考えたところ、正しい診察の手順を忠実に行うことはこの信州大学第一内科の精神を反映しているのではないかと推察しました。すなわち、患者さんに対してささいなことでも省略することなく、基本に忠実に診療、診察行うことを重視してきたという精神がここにあるのではなかろうかということです。たしかに、この信州大学第一内科の医局員の先生方の仕事ぶりを拝見しますと、患者さんの診療や、後進の教育に手を抜くことなく、正しい道筋でしっかりと取り組まれていらっしゃる姿が印象的です。その分だけ、時間と労力はかかるでしょうが、そういったことをずっと継続してきたのでしょう。このような診療に対する姿勢は歴史的にこの医局で受け継がれ、育まれている精神といえます。

さて、先日、同窓会誌を読んでおりましたところ、多くの先生が引用されている言葉があることに気づきました。第一内科初代教授戸塚忠政先生が最終講義で述べられた一文です。「わたしは症候を天与の黙示として大切に取り扱い、その意味付けに心を砕くべきだと思う。・・・症候の意味付けに苦吟することなしに安易に対症療法を行うことは、病気の本質、推移を知らせてくれる羅針盤を放棄するようなものであって、かえって暗中模索の不安が伴うことになる」これについて、久保教授は次のように述べられておりました。「戸塚先生から教わった時期は非常に短いものでした。しかし、検査方法や機器のめざましい進歩にともない、なおざりにされている内科学の基本である診断学を大事にするとの精神を先生から教わりました。この精神を忘れないようにしていきたいと思います」。私が見た、久保教授、花岡教授の診察の姿勢はまさにこのような精神を体現しているのではないかと、あらためて感じました。

私はこの「症候は天与の黙示であり、その意味付けに心を砕くこと」に重きをおく第一内科の精神をより深く理解し、医局員として恥ずかしくないよう、もう一度自分の診療姿勢を再確認し、日常診療に取り組む気持ちでおります。

患者様、医局員・OBの先生方、そして信州大学医学部呼吸器・感染症・アレルギー内科に関わる皆様方、どうかよろしくお願いいたします。

西江 健一 拝

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