APSR2015に参加して

本年のAPSRはマレーシア、クアラルンプールで12月3日〜6日開催されました。昨年に引き続き、花岡先生と参加させていただきました。今年の発表のテーマは、CTガイド下生検における被曝についてでした。ポスター発表です。

APSRはもともと予定の通告が遅いときいていましたが、なかなか発表日や発表時間などについての具体的な連絡が来ませんでした。11月16日までにお知らせします、というメールが来ているにもかかわらず、11月の終わりになっても連絡が来なかったため、メールで問い合わせてみましたが、連絡は来ず、また電話もしてみましたが、明日ね!とあっさり答えが返ってきて、それ以上反論もできず、やはりその明日になっても連絡は来ず、という不安な状態でした。それでもあるとき突然連絡が来て、予定日は12月5日に決まったのでした。そして以前出したメールに対して、連絡の通知をしましたよ、という返信も来ていて、もう少し早く連絡がほしかったところでしたが、かえって気がラクになりました。

12月5日の朝は、松尾先生にお会いしました。先生は昨年に引き続き、いらっしゃっていました。私のポスターの貼り付けも手伝っていただきました。なかなか毎年発表する題材を揃えるのは大変だと思いますが、そのバイタリティを見習いたいと思いました。

発表の前には教授の肺高血圧症についての発表時間がありました。昨年と比べると聴講者は非常に多く、関心が強くなってきているのを感じました。また、みんな同じ格好でスライドを撮影しているのがちょっと面白くみえました。時代はスマホで撮影です。

教授の発表が終わったあとは、すぐに私のポスターの発表時間となりました。発表時間といっても、なにをしてよいのかわからないため、とりあえずポスターの前に立って質問者を待っていようと思いましたが、ポスターのある場所に着いて発表の準備をしていると、まだ準備もままならないところで、マレーシアの中堅以上の先生に、お宅ではelectro magnetic bronchoscopyはどうしていますか、と質問されました。EBUSの超音波を磁気と間違えてるのかな、と思いましたが、それはなんですか、と質問しても教えてくれません。そのうちその先生の知り合いがきて話が盛り上がってしまって、もういいわ、といって行ってしまいました。準備していたことはなにも話ができず、ただ無力感で終わってしまうのかな、と思っているところに、今度はインドネシアから来た学生さんが私は呼吸器に興味があるので教えてください、と話しかけてくれました。さきほど落ち込んでいるところだったので、なんてけなげで可愛いんだろう、とおじさんみたいに心うたれてしまい、CTガイドとは、とか、バーチャルナビゲーションとは、とかこれまた全然説明することを準備していなかったことを夢中で話しました。一部は自分でもなにをしゃべっているのかわかりませんでしたが、うなずきながら聞いてくれてとても嬉しかったです。そのあとはしばらく周囲をブラブラして、そろそろ片付ける時間になったので、ポスターを剥がそうとしていると、今度は日本人に話しかけられました。お隣のスペースのポスターの先生で、岡山赤十字病院からいらっしゃった佐久川先生とおっしゃる先生でした。EWS開発者の先生のお弟子さんだそうで、大変光栄でした。この先生ならもしかしたらさっき聞かれたelectromagnetic bronchoscopyのことがわかるかもしれない、と思い、聞いてみました。さすがに知っていらっしゃって、日本ではから採用されていないこと、CTをもとに作られたバーチャルの画像を見ながら気管支鏡をターゲットまで到達させるというものであること、また日本では導入される可能性は低いだろう、ということを教えていただきました。たった30分立っている時間を与えられただけでしたが、その間に思わずいろいろ充実したチャンスを得られました。発表後のGALA dinnerでは、藤本先生の研究室から浦さん(技師さん)がBOOK賞という賞をいただいており、肺がんの本を授与されていました。持ち帰るのは大変だと思われますが、賞をもらえるようにいつかはがんばってみたいと思います。

マレーシアといえば、イスラム国家ですが、その基礎はやはりマラッカと思い、マラッカに観光に行きました。ガイドさんがタクシーで連れて行ってくれました。英語はほとんどわからず、日本語がかろうじてわかる程度でしたが、この寺院は何という寺院?と聞いても、お寺、この像は誰?と聞いても、マレーシア人というかんじで、あまりガイドになっていない気がしましたがそれでもマラッカという歴史ある街を歩くことができてよかったです。

また、ムルデカというマレーシアが20世紀に独立を勝ち取った都市がありました。こちらにも行ってみようと思いましたが、今度は自分たちで行ってみようということになり、鉄道で行くことにしました。鉄道といっても要は地下鉄で、仕組みは日本とほとんど変わらなかったです。電車を降り立つと、コーランが聞こえてきて、クアラルンプールの中心市街地にいたときよりも雑然として、イスラム教徒の多いところでした。西洋の金融機関はたくさんありましたし、マックもありましたが、クアラルンプールがいかに西洋化されている街なのかということが対比されてわかる街でした。最後に、クアラルンプールはすずで栄えた街であるということで、セランゴールという街にあるすずの容器を作る工場に行きました。そこですずを削っている職人の方々はみな防塵マスクをつけておらず、肺障害が気になってしまいましたが実際はどうなのでしょうか。

短い旅ではありましたが、また発表できるように勉強しようと思います。

加藤 あかね

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